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「羽後の子ども」第19集より
この年度は 「昭和」の最後 、つまり63年度となります。 6月に町役場の 新庁舎 が現在位置に完成し、移転しました。さらに道路を挟んだ高校跡地が川原田分譲宅地として分譲を始めました。 9月には、田代青年後継者会が東京で 「嫁来いパレード」 を行い話題となりました。...
晴夫 沼澤
2024年10月14日読了時間: 2分
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昭和47年(1972) を紐解く
久々のアップになりました。 この当時の町の動きにダイナミックさを感じる 和47年 を取り上げます。 新年の1月号らしい お目出度い話題の記事 がありました。 現在でも入選となれば必ず報道されるほどの名誉ある出来事です。 町民として晴れがましいことですね。 ...
晴夫 沼澤
2024年10月11日読了時間: 2分
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「羽後町の伝説」を読む(その7)
第7回目は、ご存知の方も多い 「甚助地蔵(じんすけじぞう)」 です。 これは「羽後町の伝説」には 6ページにわたって載せられています。 また、教育委員会の作成した児童用副読本には(5)むかしの話として、「 甚助さんと治兵衛さん ~上到米のれきし~...
晴夫 沼澤
2024年10月4日読了時間: 2分
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昭和46年(1971) を紐解く
昭和46年を見ていきましょう。70年代らしい動きがよくわかります。 新年号は 「写真で見る町政の歩み」 と題され、かなりビジュアルに構成されていました。「ほ場整備」や「建設・土木行政」「福祉・保健活動」「社会教育」など、網羅されていた内容です。...
晴夫 沼澤
2024年9月23日読了時間: 2分
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「羽後の子ども」第18集より
昭和62年 は夏に集中豪雨のため、大きな被害( 田代・仙道地区を中心に約10億円の被害 )が出ました。 12月には田代保育所が竣工されました。またこの年度をもって、県立羽後高等学校高瀬分校が閉校となりました。 五輪坂の県営農地開発事業が完成し、農業振興シンポジウムを開催...
晴夫 沼澤
2024年9月9日読了時間: 2分
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昭和45年(1970) を紐解く
昭和45年… 時代は1970年代 となりました。 農業の近代化という問題が、より迫ってきた年と言っていいでしょうか。 2月号に 「『米の生産調整』にどう臨むか」 と大きく題されて記事が書かれており、減反問題に揺れ動く町の様子が想像できます。...
晴夫 沼澤
2024年9月3日読了時間: 2分
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昭和44年(1969) を紐解く
昭和44年 、西暦でいうと 1960年代最後の年 になります。 2月号に 「五輪坂スキー場」 の話題が載っています。 一定の年齢の方ならご承知のように、現在地ではなく道路を隔てた反対側に設置されたものです。 ロープトウにつかまり上って、滑り終えたことを思いだす人も多いのでは...
晴夫 沼澤
2024年9月3日読了時間: 2分
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「羽後の子ども」第17集より
昭和61年(1986)の詩作品です。 この年の3月、黒沢家住宅が 県有形文化財 に指定されたのに続き、61年度に入った4月には前郷神社本殿、西蔵寺山門、地蔵院鐘楼門、三輪神社鐘楼を町有形文化財に指定しました。 7月には 活性化センター...
晴夫 沼澤
2024年8月28日読了時間: 2分
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昭和43年(1968) を紐解く
昭和43年 分を見ていきます。 西暦だと 1968 年。実は広報のタイトル日付は、もう昭和38年から西暦年号が使われていて、だいぶ浸透していたようです。(しかし、また数年後に元号に戻ります) 1月、新年号に毎年のように載る、 町民の声...
晴夫 沼澤
2024年8月20日読了時間: 2分
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「羽後町の伝説」を読む(その6)
冊子「羽後町の伝説」を読み解いていくシリーズ、第六回目は 「小豆研(と)ぎ石」 という話です。 今回も舞台は 飯沢地区 。そして伝えられている素材も 「石」 です。やはり、物言わぬ存在に畏敬の念を抱くのは、人間の一つの習性なのかもしれません。...
晴夫 沼澤
2024年8月18日読了時間: 2分
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「羽後の子ども」第16集より
町文集の詩作品紹介も、いよいよ昭和60年代に入ります。 懐かしさを感じる年代も増えてくるはずです。。ぜひお読みください。 昭和60年度は5月に 軽井沢山村広場 が完成しました。 7月には「科学万博つくば」へ西馬音内盆踊りが参加しました。...
晴夫 沼澤
2024年8月16日読了時間: 2分
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昭和42年(1967) を紐解く
広報シリーズ、 昭和42年 を取り上げます。 この年も多彩な記事があります。 新年号には 「 町 立羽 後病院 」の完成記事 が掲載されていました。 もちろん旧病院である建物ですが、今も一部は使用されていますね。 出来上がった頃は、 あの独特の形状が印象深かった...
晴夫 沼澤
2024年8月13日読了時間: 1分
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昭和41年(1966) を紐解く
「広報うごを紐解く」シリーズも創刊から10年経過した時点に入っていきます。 昭和41年 を見ていきましょう。 今回は最初に4月号付の「 町の予算 」を取り上げてみます。 使い道などもイラストがあり、工夫されてきているようです。...
晴夫 沼澤
2024年8月11日読了時間: 2分
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「羽後町の伝説」を読む(その5
五回目となる今回は、飯沢地区の岩台の道ばたにある、直径約1メートル30センチほどの卵形の石のことです。その名は「婆(ば)っこ石」。 ダイジェストはこうです。 昔、婆様と孫が夜中にこの石のそばを通ったら、石が「ぼっ、ぼっ」と火を吐いていた。危ないからと消そうとしたがいくらやっ...
晴夫 沼澤
2024年8月5日読了時間: 2分
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「羽後の子ども」第15集より
昭和59年(1984)は、7月「まごころ秋田キャンペーン」の一環として、盆踊りを東京上野で披露し、町のアピールを行いました。9月には金易二郎名誉九段(将棋)の頌徳碑が五輪坂に建立されました。 全県的な話題として、夏にインターハイがあり、水稲新品種として「あきたこまち」が登場...
晴夫 沼澤
2024年8月1日読了時間: 2分
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昭和40年(1965) を紐解く
いよいよ昭和40年となりました。 2月号には、佐藤町長が「町政を運営するについての私の決意」と題した1ページにわたる文章がありました。 内容は、前年に議会で指摘され調査や処分を進めていた、町職員の「汚職」に伴うことでした。かなり詳細な点まで記され、当時いかに紛糾したかが想像...
晴夫 沼澤
2024年7月29日読了時間: 2分
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昭和39年(1964) を紐解く
昭和39年を見ていきます。 この年は、国としては東京オリンピックの行われたメモリアルな年でした。 10月には若干それに触れた記事もありますが、全体のなかでは「出稼ぎ」に関する話題がやはり目立っていました。 農家が冬場の現金収入を求める流れが加速していたのでしょう。...
晴夫 沼澤
2024年7月26日読了時間: 2分
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「羽後の子ども」第14集より
昭和58年は、5月にあの 日本海中部地震 が発生しました。 町では被災地能代市へ給水車を派遣したと記録にありました。 県による、ほ場整備事業や広域農道整備事業が進められ6月に終了しました。また、今も民間で建物が活用されている雇用促進住宅羽後宿舎が完成した年でもあります。...
晴夫 沼澤
2024年7月24日読了時間: 2分
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「羽後の子ども」第13集より
昭和57年度は、500円硬貨発行、東北新幹線開業と全国的にも大きな変化のあった年でした。 町内では、秋には田代・仙道地区の県営ほ場整備事業が完成し、飯沢鈴木家住宅の修復工事も完了しました。 冬になって12月には羽後町商工会館の竣工があり、翌年1月に上到米小学校の新校舎も竣工...
晴夫 沼澤
2024年7月22日読了時間: 2分
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「羽後町の伝説」を読む(その4)
第四回は「獅子争い」という話です。 これは、小坂太郎氏の文章。短いですので全文掲載としてみます。 西馬音内の御嶽神社の獅子は、伝説によればナンバン獅子といわれ、運慶の作といわれていた。 さて昔から、獅子舞には縄ばりがあった。獅子を舞う人々は小松の部落から代々出て、元気のよい...
晴夫 沼澤
2024年7月17日読了時間: 2分
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