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平成元年度(1989) を紐解く

  • 執筆者の写真: 晴夫 沼澤
    晴夫 沼澤
  • 4月11日
  • 読了時間: 2分

 いよいよ時代は平成へと移りました。

 

 平成元年度4月30日号の「まちの話題」として、前年のあのイベントが賞に輝いたことが取り上げられていました。


  羽後町の名を一躍広めたこの出来事f忘れられないことですね。

 

 

 元号が改まったことを一つの区切りとして、いろいろな活動が目立ちました。

 体育協会も三十周年を迎え、主催行事としてこの大会が開かれました。


 各地で盛り上がっていた住民運動会の全町バージョン、今思い出しても凄いことだなあと思わされます。

 

 

 町のキャッチフレーズ、町の鳥、町の花も公募され、決まったのがこの年です。


  町の花は「福寿草」となりました。以前に決めていた町の木「」、そして町民憲章とともに、様々な場で活用されました。

 

 

 あの頃の夏の風物詩(?)として、これを挙げないわけにはいきません。


 あの朝響く音も、今となっては懐かしい気がします。  

 

 


 牛まつり、ゆきとぴあも変わらず盛り上がっていた様子がうかがえます。



 この年の牛まつりは、あいにくの雨で室内実施となり、いつもの雰囲気と違うようでした。

 


 ゆきとぴあでは「夫婦俵」というみこし奉納があり、2月号の表紙を飾りました。


 


 最後に、この年度の歳出、歳入の予算のグラフを載せておきます。


  今年度(令和7年度)はどうかというと、予算規模は85億円と、約1.7倍になっています。


 「歳出」の割合比較で目立つのは、教育費が半減に近くなり、衛生費が三倍近くなっていることです。

 言うまでもなく、少子高齢化が進んだ三十年余だと見せつけられた気がしました。

 
 
 

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