晴夫 沼澤7月4日2 分「羽後町の伝説」を読む(その3)今回は「和尚塚」という話です。 舞台は、この写真でわかる方もいらっしゃるかもしれません。 来年には移転する羽後消防署の裏手になります。 伝説のダイジェストはこうです。 昔、「大潜(だいせん)」という托鉢修行を続けている和尚が、西馬音内にやってきたとき、川の流域では毛ダニに刺...
晴夫 沼澤7月2日2 分昭和35年(1960) を紐解く昭和35年の広報を取り上げます。 西暦で1960年となり、国や県の動きも活発化していく様子がうかがえます。 1月号(34号)は、例年の町長・議長挨拶に加え、「昭和丗五年に想う」と題されて各団体から声が寄せられていました。...
晴夫 沼澤6月30日2 分「羽後の子ども」第11集より昭和55年度(1980)は4月当初に町が過疎地域に指定されました。 この年の夏から秋は、日照不足・低温で水稲に深刻な被害がでました。 11月には樹齢約1,200年を誇った上到米・高橋の大杉を伐採することになりました。 1月に西馬音内の盆踊が国の重要無形民俗文化財に指定される...
晴夫 沼澤6月28日1 分昭和34年(1959) を紐解く昭和34年の広報うごは、誌面の見やすさが一段とアップしました。 その一つは「写真」が多く取り上げられてきたことです。 「写真ニュース」というコーナーで、複数のトピックが取り上げられています。 5月(26号)では、「朝市」「学校の運動会」「上郡の簡易水道」「羽後高校の庭園」「...
晴夫 沼澤6月27日2 分「羽後町の伝説」を読む(その2)第二回目は「和尚さんとガマ」です。 舞台になっているのは床舞地区の東光寺。ご承知の方も多いでしょうが、元図書館館長でもあった故田口恭雄先生が住職を務められておられた古刹です。 いつの時代か定かではありませんが、「昔、昔のお話」として伝えていきたいものです。...
晴夫 沼澤6月24日2 分「羽後の子ども」第10集より昭和54年度(1979)の発刊です。 この年は、秋9月に羽後トンネルが開通しました。 10月には消防署羽後分署に救急車を配備されています。 11月には、今にながる「町民憲章」が制定されました。 この頃は、52年度に元西小学校、53年度に西馬音内小学校、そしてこの年度に仙道小...
晴夫 沼澤6月22日2 分昭和33年(1958) を紐解く昭和33年の紙面を見ていきましょう。 1月の通巻第10号の一面は、当時の町長、議会議長の年頭挨拶の他に、「成人式、祭典を挙行」という記事が掲載されています。 前年までがどうだったか不明ですが、1月15日の成人の日(当時)に、町としても式を行い、その後「成人祭」と銘打って、講...
晴夫 沼澤6月20日2 分昭和32年(1957) を紐解く第2号から第9号まで、つまり昭和32年分を見ていきたいと思います。 第2号には、赤十字運動、職員配置、サイロ・堆肥盤設置などの話題がありました。 続いての第3号では、わずかの紙幅でしたが目を惹かれる記事がありました。 「西馬音内本町通り 舗装道路完成」です。...
晴夫 沼澤6月19日3 分「羽後の子ども」第9集より昭和53年度(1978)は、5月に第二十九回秋田県植樹祭が本町で開催されました。 10月には皇太子(現上皇)ご夫妻が来町し、3月に完成した松喬苑を視察なされました。 秋には、西馬音内川の改修工事が完成し、田代農村総合センターの竣工もなりました。県内の電話が100%自動化にな...
晴夫 沼澤6月19日2 分「羽後町の伝説」を読む(その1)第一回目は冊子の順番通りに「浦田山の千両箱」を取り上げます。 浦田山というと、かつて羽後高校や西馬音内、元西小学校がスキー学習を使った地として記憶している方も多いでしょう。 実際に住所を調べてみると「西馬音内堀回浦田山」であり、元西の西馬音内城址(梺)が背負っている山を指す...
晴夫 沼澤6月17日1 分創刊第1号は…これが記念すべき創刊1号(昭和32年4月)の1ページ目上段です。 漢字の使用一つにも歴史を感じます。 また、当時の菊池町長の施政方針要旨を読むと、施策の重点としての順序が「消防行政」→「土木行政」→「教育行政」→「社会及び労働施設…」となっていることに、その時代の優先度が表...