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昭和52年(1977) 1月~3月を紐解く

執筆者の写真: 晴夫 沼澤晴夫 沼澤

 広報縮刷版に収められた広報の最後は「昭和52年1月1日号」でした。

 

 第290号は「新年特集 広報発行20ねん」と題され、「広報に関するアンケート結果」も掲載し、一つの締めくくり的な形で編集されています。


 今から50年近く前、当時描いていた未来の町の姿と、2024年の今現在の姿は、どこが違うのか。

 政治、経済、交通、教育、産業、福祉や医療等々、何か一つだけ取り上げても、非常に興味深い考察ができそうです。


 

 さて、6ページを割いて「座談会」の記録が載っていました。

  


 今までの評価とともに、今後の課題、提言等々、編集を担ってきた役場当局と有識者たちが、熱く語っていました。


 次ページには「広報について”こう思う”」という見出しで、町民の方7人の声が載せられています。それぞれの方が、それぞれの立場から真摯に自分の思いを語っていらっしゃいました。


 

  


 ここからは縮刷版にない号をとりあげることになります。

 取りあえず3月の分までを取り上げていきます。


 1月25日号には恒例の総合体育館「新春モチつき ミカンまき大会」が載っていました。


 2月号は「スキーヤーでにぎわう五輪坂」という表紙タイトルで、全国的にスキーブームが始まった頃の様子がほほえましく思えました。

 

 3月号は例年取り上げられている「出稼ぎ集会」の特集でした。


 千葉と名古屋での集会の様子が収められています。

 参加者は両会場合わせて約千百人と、まだまだ多数の方々が冬季間の働き口を求めて奮闘していたことが想像できます。

 「安全と無事帰郷を誓い合う」は、当時の町民の思いそのままだったことでしょう。

 


 一方、同じ3月号には軽井沢地区での「なべっこスキー」の話題がありました。

 のちに「冬季住民運動会」と名を変え、学校と地域交流の一つの象徴になった出来事でした。

 

 

 様々な変化が訪れる50年代ですが、同時に町民サイドの工夫も充実してきたように感じました。

 
 
 

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