top of page
  • すぷりんぐぶろぐ
  • X
  • Facebook

「羽後の子ども」第24集より

執筆者の写真: 晴夫 沼澤晴夫 沼澤

「羽後の子ども」第24集(1993年度)より紹介します。

 

 この平成5年度は、4月に町内を通る県道三路線が国道398号に昇格しました。


 また、観測史上最長の梅雨(6月2日から72日間)に見舞われ、異常気象(低温・多雨)による水稲に大被害が出た年です。


 11月にはかがり火広場が完成し、朝市がそこに移転して開かれるようになりました。翌年1月に民話伝承館「むかしがたり館」が開館しました。



 

 

  ぼくのくせ

             

        飯沢小3年

 

ぼくは、じゅぎょう中に

ぼーっとする。

ぼーっとしている時は

自分のつごうのいいそうぞうをする。

 

ひょんなことから王様になった。

会社がもうかって大金持ち

からあげをいっぱいくった。

とく上のすしをひとりで三人前食べた。

大金持ちのさいふをひろって

一わりもらった。

みんなぐうたらなゆめばかりだ。

 

じゅぎょう中に

三十分はぼーっとする。

先生にちゅういされると、

「あっ、あ。」

と思う。

でも、またむいしきのうちに

ぼーっとしてしまう。

 

自分でなおそうなんて

あまり思わない。

ひょっとして

二、三年はつづくかもしれない。

またあしたもぼーっとしよう。

 

             

◆「妄想少年」…二、三年続いたか。もしかしたら二、三十年続いているか。

そのぼーっとした時間は、実は長ければ長いほど幸せだったかもしれない。その価値は、そんな時間を無くした者だけが、今頃になって気づく。

 

 

 

 

  かがみ

 

        羽後中2年

  

むこうにもう一人の私がいる

でも私は、私ではない

また別の私がきた

歯みがきをしている

口をぼけっとあいて、まだねている

次の私は、顔になにやらつけている

いっしょうけんめい髪をいじっている

時間もないのに

いろんな私に変身する

小さいのから大きいのから男や女にも

でも、ほとんどは

朝だけしか変身できない

他の時間はつまらないものの私なのだ

動くこともできない

話すこともできない私

だから

朝はいい

しゃべることも動くこともできる

同時に二人の私にだってなれる

すごいだろう

だから朝がまちどおしい

 

あっ来た来た

ねむそうな顔で目をこすりながら

今日もむこうから私たちがくる

 

 

◆「いろんな私」を見つめる私も、いろんな私の一人だ。心のなかに浮かんで自由に動き回り、また消えていく存在が、鏡を通して可視化されている。その想像がとても楽しい。そして、知る。その「私たち」を束ねるのも、私だけだということを。

 
 
 

Comments


bottom of page