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「羽後町の伝説」を読む(その11)

執筆者の写真: 晴夫 沼澤晴夫 沼澤

 伝説は第11回目となりました。

 

 今回は「少年時代の信淵(のぶひろ)」

 

 ご承知のように、本町が生んだ江戸時代の学者佐藤信淵の、幼い頃の逸話です。

 

 信淵に関しては郷土かるたにこう記されています。



 全文をいつものようにダイジェストにしてみました。

 

 野性的なわんぱく児で、近所きってのガキ大将だった百祐(ひゃくすけ・信淵の幼名)は、村の嫌われ者となり「佐藤のばかおじ」と呼ばれるまでになっていた。


 心を痛めた父親が竜泉寺の和尚に頼んで修行させることになったが、生活になじめず夜中に寺を逃げ出した。

 近くの森や谷をくまなく探したが10日経っても見つからず、手がかりもなかった。

 探していた母親は、出会った樵(きこり)から、七高山の峰の祠の中に子供がいると聞き、大急ぎで登っていくと、百祐は十日間も断食し、祠にこもって読書をしていた。


 百祐は母に「先祖から伝わる学問を研究して、もっと実際に人々の役に立つ大きな仕事をしたい。」といい、今までの行いを反省した。

 その夜母親は、百祐と祠で一夜を過ごしたとき、枕元に立った神のお告げを聴いた。

「この子は天下に知られる偉い人物になるだろう。一日も早く都へ出してやるがよい。」


 百祐は、やがて父と共に郷里を出て、諸国を旅し、「日本一の農学者」になったのである。




 現実的には少年の10日間の断食は考えにくいですが、史実と照らし合わせられるようなエピソードとして、こうした幼年期・少年期があったことは想像に難くないところです。

 極端に触れるところに大物感があります。

 



 


 

 
 
 

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