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「羽後の子ども」第23集より

執筆者の写真: 晴夫 沼澤晴夫 沼澤

 第23集は平成4年度(1992)の発刊です。


 この年の6月、田代地区で約1,500万年前の歯鯨の頭蓋化石を発見されました。


 またこの年度は新しく建てられた施設も多く、4月高瀬中学校校舎、7月ひばり野園、11月田代仙道診療所、翌年3月明通小学校校舎と続きました。

 

 それから30年前以上が過ぎ、今の様子や活用状況を考えると、歴史を感じさせられます。

 

 

  

   かあさんの手

            

        元西小1年

 

 

しゅくだいをしていたとき、

かあさんの手が

すうっとぼくのはなのまえをとおった。

ぼやあっと

せっけんのにおいがした。

「かあさんの手、いいにおいだな。」

ぼくは、かあさんの手をつかんだ。

がさがさしていて、ドキッとした。

おとしだまをもらったら

手につけるクリームをかってあげよう。

 

             

◆その手で抱き上げられたことも、頭をなでられたことも、人は時に忘れてしまう。しかし、がさがさしている、かあさんのその手が確かに育て上げたのは、「ドキッとした」心、「クリーム」をかってあげようとする気持ち。

 


 

 

 切りたおされた歴史

 

        三輪小6年

 

その日の朝

わたしは何ともいえない気持ちだった。

百年近く生きつづけたさくらの木が

たった二日の間に

もう根っこしかのこしていない

わたしは立ちすくんで

空しい風景を見ていた

 

一年生のころ

まんかいの花の下で写真をとったっけ

四年生の時は絵もかいた

ザラザラした幹をなで耳をあてたさくらの木

かさを忘れた雨の日に

母を待ちながら雨やどりしたっけな

 

思い出いっぱいのさくらの木が

道路のために

便利さのために

あっけなく切られるなんて!

わたしのむねに悲しさがこみあげてくる

 

学校の前にかげがない

いっぱいに開いた枝もない

ずしんと生きた百年が

パラパラにされたすがたで

横たわっている

 

さようなら さくらの木

 

 

◆一つの生物が生まれ、成長し、そして命を終えていくということは、他の生きとし生ける者と関係を築いていくことだ。「わたし」とも様々なかかわりをつむいだ。その記憶は「わたし」が生きている限り消えない。「ずしんと生きた百年」は、様々な人の心に生きている。


 
 
 

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