「広報うごを紐解く」昭和52年度のスタートは、うれしい話題からでした。
米飯給食「献立調理」の全国コンクールで優秀賞に輝く栄誉です。

実は、本町の給食センターはこの前年も全県一、そしてこの翌年も部門一位をとる組がいて、非常に優秀な成績を収めていることが分かります。
当時の給食を食べた方は「味覚」を鍛えられたのかもしれません。
6月号に人口問題が大きく取り上げられました。

昭和30年に約29000人で発足した羽後町は、20年間で22000人台まで減少していました。
これはもちろん当町に限らず、地方の多くの自治体が抱える問題でした。
「人口減少対策」が大きな課題と共有され始めた時期と言えるでしょう。
個人的な記憶もありますが、総合体育館にオリンピックに出場した体操選手一行が来館し、技を披露したのが、この年の7月でした。

華やかな雰囲気があふれ、観客を魅了しました。
スポーツ関係の興隆が大きい頃でした。
特に野球熱は続いていて、10月号の記事には「町協会加入が39チーム、700人」とありました。

毎日のように、朝早くから様々な野球グラウンドが使われていた印象があります。
明けて53年1月号の表紙は、これです。

前年から「レストハウス建設」の記事が報じられていて、町民の多くも待望していました。現在の「としとらんど」の前身ということはご存知のことと思います。
周辺地域を活用したレクリエーション施設の計画も進んでいた頃です。
余暇の使い方、レジャーに関して広がりを見せた時代と言えそうです。
Comments