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《8》ドデンシタ &
酷い災害などは別にして、最近あまり驚くことがなくなったのはメディアの発達により慣れっこになったからか。 視聴覚的な情報では「ええーっ」「おおう」ぐらいしか声を発しない。昔はこんな語を使った。 【ドデンシタ】 …「驚いた、びっくり」の意味。「動顛」と漢字がある。 ...
晴夫 沼澤
2024年12月3日読了時間: 1分
《7》オガ &
世の中がソフトになったのであまり使われなくなった形容は多い。 人の行為に歯止めをかける、制限する場合によく出てきた語だ。 【オガ】 …「あんまり、度が過ぎる」「たくさん」という意味。 「きのう、オメがよ、アンコさ言ったごど、あれなばオガだでぁ」...
晴夫 沼澤
2024年12月3日読了時間: 1分
《6》ンダガラ
娘たちと家族四人で暮らしていた頃、口癖のように毎日会話に出てくる気がして、これは我が家の頻出ワードだと思った語がある。 【ンダガラ】 …「それだから」の意味。 「そうだ」+「から」ということだが、ニュアンスは 「その通りである」 に当たる。 ...
晴夫 沼澤
2024年12月3日読了時間: 1分
《5》ケナリ
大学を卒業し、講師で山間部の中学校へ勤めたとき、2年女子同士のこっそりした会話の言葉が聞き慣れなれず、意味もわからなかった。 「オレよ、あの人どご、ケナリ」 (私は、あの人を・???・) 自宅へ帰り、母に訊いたがわからず、明治生まれの祖母が「聞いたことがある」とそのニ...
晴夫 沼澤
2024年12月3日読了時間: 1分
《4》ビコタコ&
「ケンミンショー」という番組ではよく方言が取りあげられる。 あるタレントが、左右ずれていることを「 うちの方では・・・し・・しと言う 」と聞いたとき、オラホでは何というか思い出してみた。 【ビコタコ】 …「左右反対だったり、片方との差が大きかったりする」場合によく使わ...
晴夫 沼澤
2024年12月3日読了時間: 1分
《3》ンダタテ &
素直な子が多くなった、と感じるのは面と向かって口答えするような場を見ることが少ないからか。 オラダが小さい頃、何度この言葉を使ったものか。親に向かっても、友達同士でもよく口にした。 【ンダタテ】 …「そうは言っても」という意味。 ...
晴夫 沼澤
2024年12月3日読了時間: 1分
《2》ワッパガ
物価上昇が続く令和5年の年明け。異常な数値を見せたのは1月電気料金だった。 20年近く前に建てた家は、当時の流行に乗ったオール電化。深夜電力利用プランで蓄熱暖房などが一気にハネ上がった。 思わずオラホの言葉が口をついてでる状況だ。...
晴夫 沼澤
2024年12月1日読了時間: 1分
《1》イツガカツガ &
何事もスピード感が大切、見通しを持って行うことが求められる今 の世の中だけど、オラホでは昔、こんなコトバをよく使っていた。 【イヅガカツガ】 …「いつかきっと」という意味。 「いつか」の強調形と考えられるだろう。 だからこんなふうに語ればいいのだ。 ...
晴夫 沼澤
2024年12月1日読了時間: 1分


「羽後の子ども」第22集より
平成3年度 (1991)の文集から取り上げます。 この年4月の町長選挙で問題が起こり、6月に 再び町長選 が行われたという波乱の幕開けがありました。 また、西馬音内町部にあって長い歴史を持った酒造会社が閉じられ て銘酒「若返り」が製造中止 となった年でもあります。...
晴夫 沼澤
2024年11月26日読了時間: 2分


昭和51年(1976) を紐解く
縮刷版の 最終年度を迎える昭和51年 を紹介します。 テレビ取材で 真冬にお寺の境内で盆踊りのロケ が行われたという記事が2月号に載っていました。 NHKのその番組「 羽後町西馬音内 」は数年前にも再放送されたように思います。...
晴夫 沼澤
2024年11月21日読了時間: 2分


「羽後の子ども」第21集より
第21集の発刊は 「1990年度」 ということになります。 90年代の始まりの年、町内では6月に西馬音内の火災で5棟が全半焼するという痛ましい出来事がありました。 夏には待望の 羽後中学校50メートルプール が完成します。...
晴夫 沼澤
2024年11月18日読了時間: 2分


「羽後町の伝説」を読む(その9)
「伝説紹介」の第9回目は 「姥平(うばひら)の話」 です。 前回同様、仙道地区がその舞台です。 ダイジェストを次のようにまとめてみました。 昔、ひとり娘を飯沢に嫁にやって、一人暮らしをしているおばあさんがいました。...
晴夫 沼澤
2024年11月16日読了時間: 2分


昭和50年(1975) を紐解く
町広報がまとめられた 「縮刷版 広報うご」 からの紹介ものこり少なくなりました。 昭和50年 です。 元日付けとして「 昭和49年度 目で見るおもな事業 」という特別版が発刊されています。 そこでは、以前から紹介している 「 羽後中学校実質統合 」「...
晴夫 沼澤
2024年11月12日読了時間: 2分


「羽後の子ども」第20集より
町の小中学校児童生徒詩文集の継続は20集を迎え、その号は記念特集が組まれています。 さて、この年は、 平成元年度 としてスタートが切られました。 町のキャッチフレーズを「 緑と踊りと雪の町 」とし、新たに町の花「福寿草」、町の鳥「うぐいす」と決定しました。 うご町...
晴夫 沼澤
2024年11月8日読了時間: 2分


昭和49年(1974) を紐解く
「広報うご」紹介も、 昭和40年代の最後49年 となりました。 この年の新年特集号には「 新春座談会 」の様子が取り上げられていました。 前年度までの県政モニターをした方や農業近代化ゼミナール関係者などが出席しておられたようです。...
晴夫 沼澤
2024年11月1日読了時間: 2分


「羽後町の伝説」を読む(その8)
第8回目となりました。 今回は 「石鉢の清水」 という話です。 (元西地区に 伊勢鉢の清水 がありますが、これとは違います) ダイジェストを、次のようにまとめてみました。 昔、仙道の堀内の長者の家へ、旅のお坊さんが水をもらいに立ち寄った。...
晴夫 沼澤
2024年10月29日読了時間: 2分


昭和48年(1973) を紐解く
昭和48年 に入ります。 48年というと、なんといってもこの話題が大きいはずです。 この出来事は羽後町民にとって心に残ると同時に、それに伴う 日常生活の変化を引き起こした とも考えられます。 時代の大きな波のうねりを感じさせられる一コマです。 ...
晴夫 沼澤
2024年10月23日読了時間: 2分


「羽後の子ども」第19集より
この年度は 「昭和」の最後 、つまり63年度となります。 6月に町役場の 新庁舎 が現在位置に完成し、移転しました。さらに道路を挟んだ高校跡地が川原田分譲宅地として分譲を始めました。 9月には、田代青年後継者会が東京で 「嫁来いパレード」 を行い話題となりました。...
晴夫 沼澤
2024年10月14日読了時間: 2分


昭和47年(1972) を紐解く
久々のアップになりました。 この当時の町の動きにダイナミックさを感じる 和47年 を取り上げます。 新年の1月号らしい お目出度い話題の記事 がありました。 現在でも入選となれば必ず報道されるほどの名誉ある出来事です。 町民として晴れがましいことですね。 ...
晴夫 沼澤
2024年10月11日読了時間: 2分


「羽後町の伝説」を読む(その7)
第7回目は、ご存知の方も多い 「甚助地蔵(じんすけじぞう)」 です。 これは「羽後町の伝説」には 6ページにわたって載せられています。 また、教育委員会の作成した児童用副読本には(5)むかしの話として、「 甚助さんと治兵衛さん ~上到米のれきし~...
晴夫 沼澤
2024年10月4日読了時間: 2分
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