昭和48年に入ります。
48年というと、なんといってもこの話題が大きいはずです。
この出来事は羽後町民にとって心に残ると同時に、それに伴う日常生活の変化を引き起こしたとも考えられます。
時代の大きな波のうねりを感じさせられる一コマです。
ちなみに「雄勝線」を取り上げた一冊として、次の本があり図書館に収められています。
『羽後交通雄勝線』 追憶の西馬音内電車RM library52図書
若林 宣∥著 ネコ・パブリッシング2003/11
さて、 前年のデータに交通事故のことがありました。それに対応するような形で、こんな試みが行われたことが2月号に載っていました。
下部にある「スリップ事故」も当時の交通状況を想うと、かなり多かったのかもしれません。まだまだ、技術的な面やマナーが追い付いていないのかもしれません。
主幹産業の稲作では機械化が進み、田植えなどの作業の様子もこんなふうに変わってきていました。
一方で「米価問題」が大きく町にのしかかっていました。
町内のデモ行進が載っている写真は珍しいかと思います。
それだけの切実感が記事の様子から伝わってきました。
秋10月号には、こんな話題が紙面のトップを飾っていました。
野球をはじめ、様々なスポーツが盛んになり、町内でも各所で多くのチームが活動し、非常にエネルギッシュな時代だったことも確かです。
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