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執筆者の写真晴夫 沼澤

昭和47年(1972) を紐解く

 久々のアップになりました。

 この当時の町の動きにダイナミックさを感じる和47年を取り上げます。

 

 新年の1月号らしいお目出度い話題の記事がありました。


 現在でも入選となれば必ず報道されるほどの名誉ある出来事です。

 町民として晴れがましいことですね。

 


 この年も引き続き「出稼ぎ集会」の様子は大きく取り上げられていて、まだ苦しい生活の実態だということがわかります。

 「町政要覧」(町のようす)と題されて、下のような図が紹介されていました。

 前年のデータだと思いますが、テレビ・電話が一世帯一台に届いていません

 車・バイクの普及が著しく、それに伴った事故も多いと感じます。

 

  

水問題」の課題の大きさ、インフラ整備への動きの活発化がよく表れている紙面がありました。

 様々な経緯を経て、今の配水池があると考えると、その姿も違って見えますね、

 

 

 羽後中学校校舎の着工がこの秋でした。

 整地される前がどんなであったか、「字雄勝野1番地」の誕生場面ですね。

 

 

 11月号に載ったこの開発構想の地図には、完全に実現できなかった箇所もあるようですが、「開発」に込められた夢のような思いを感じさせられました。


 羽後町誕生から17年が過ぎていました。

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