町広報がまとめられた「縮刷版 広報うご」からの紹介ものこり少なくなりました。
昭和50年です。
元日付けとして「昭和49年度 目で見るおもな事業」という特別版が発刊されています。
そこでは、以前から紹介している「羽後中学校実質統合」「湯沢雄勝広域圏組合総合体育館」「上水道事業」の三つが大きく取り上げられています。この50年が本格的に動き出した年とも言えそうです。
1~2月号にかけて、今では恒例になっている総合体育館での「もちつき大会」の告知と、実施した写真が載っていました。
4月号には羽後中学校入学式の様子が紹介されています。
今年現在で数えてみると、この写真の生徒の皆さん全員が還暦を超えていることになりますね。
6月号の表紙には「七曲峠の舗装」が取り上げられていました。
今でこそ四つの峠道があるわけですが、舗装は七曲が最初だったわけです。
同じ6月号に「ごみ対策」のことが大きく載っています。
収集処理のことはもちろん不法投棄など、大量生産時代が到来して大きく顕在化した問題を共有する時期になりました。
夏にはこんな記事が載っていました。
今の社会では考えにくいことですが、まだ大らかさに包まれていた時代です。
昭和40年前後に生まれて、当時在学していた方々が記憶にとどめていたら、それは素晴らしいことですね。
なお、翌月には「よろこばれた 川の清掃と釣り大会 西馬音内釣りの会」という記事もあったことを添えておきます。
夏のイベントとして「羽後町ふるさとデー」という催しがあったことも大きく取り上げられていました。
社会教育がかなり勢いを持っていた印象を強くしました。
最後に10月のこんな記事も紹介してみます。
左は往年の有名選手を招いての全町駅伝、右は誘致工場の製品がコンテストで優秀な成績を収めたことです。
仕事も余暇も精一杯頑張っている様子が伺えます。
当時、その中心におられた方々にとっては、ずいぶん懐かしい出来事ではないでしょうか。
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