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執筆者の写真晴夫 沼澤

昭和49年(1974) を紐解く

 「広報うご」紹介も、昭和40年代の最後49年となりました。

 

 この年の新年特集号には「新春座談会」の様子が取り上げられていました。


 前年度までの県政モニターをした方や農業近代化ゼミナール関係者などが出席しておられたようです。

 懐かしいお名前が見えます。前年に出された「開発基本構想」などをめぐって、それぞれの立場からの町の未来が語られていました。

 


 例年のように「出稼ぎ」関係の紙面が多いのですが、この年は1月末に「号外」が出される事態になりました。いわゆる「ヨンパチ豪雪」です。


 それ以降の年もそうでしたが、町ぐるみの対策、協力が不可欠であったことでしょう。

 記事には「(1月)28日現在、羽後町の平坦部の積雪は2.02メートル、山間部では2.85メートルとなっており…」とありました。


 まだ機械化の行き届かない時代、覚えている方も多いでしょうが、あの大変さはまだ語り継がれるでしょう。

 

 

 4月号からスタートした連載があります。

 「この町を訪れた著名な人々」ということで、記録を紐解きながら紹介されています。第一回は、あの菅江真澄でした。


 この連載は翌年3月まで続きます。


 なお、町立図書館には「禁貸出」ですが、まとめられて冊子になっています。興味のある方にはぜひ読んでいただきたいものです。

 

 

 同じく4月号にこの計画が大きく載せられました。 


  今、ごく普通に使っている、通っているあの道が出来てからちょうど半世紀が経ちました。

 

 同じ紙面にある小さな囲みを拾ってみます。その時点の課題をうまく捉えていると感じました。


 

 この年、羽後中学校の校舎が完成し、夏の成人式を新築されたばかりの中学校体育館で催されたことが、8月号の記事として載っていました。



  また、11月には湯沢雄勝広域圏民総合体育館が完成し、記念の各種スポーツ大会が開催され、「設備内容の披露」を兼ねた「藤圭子歌謡ショー」が開かれたとありました。

  


 町の姿が大きな変貌を遂げていった、典型的な一年だったように思います。

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