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執筆者の写真晴夫 沼澤

「羽後町の伝説」を読む(その7)

 第7回目は、ご存知の方も多い「甚助地蔵(じんすけじぞう)」です。

 

 これは「羽後町の伝説」には6ページにわたって載せられています。


 また、教育委員会の作成した児童用副読本には(5)むかしの話として、「甚助さんと治兵衛さん ~上到米のれきし~」として題づけられていました。

 

 ここでは、ダイジェストとして、町観光物産協会が監修した「羽後学・入門」から引用します。

 そこでは、「長(おとな)百姓甚助(じんすけ)」とタイトルがついています。

 

 慶長から正保にかけて、この地方を冷害。病虫害、悪疫、天災地変が毎年のように襲いました。

 上到米村肝煎(きもいり)遠山治兵衛と長百姓甚助は、深刻な事態の打開のために、正保2年(1645年)参勤交代で、江戸から国元へ戻る藩主を待受けて窮状を直訴しました。

 取り押さえられましたが直訴内容に偽りはなく、無罪放免となり、年貢も軽減されました。義民として尊敬された甚助は、神様として神社に祀られ、今に伝えられています。


 

「羽後町の伝説」には、物語としてハイライトといえる、横手の馬喰橋上の直訴の場面、それから藩の検使役の一行が横根峠で悪天候に見舞われる場面が描かれています。





【予告】 来月には当サイトの管理人沼澤が、1994年に書き下ろした脚本を発表する予定です。リンクを貼ってアクセスできるようにします。

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