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昭和59年度(1984) を紐解く

執筆者の写真: 晴夫 沼澤晴夫 沼澤

 「うご広報」の紹介は、昭和59(1984)年度を見ていきましょう。

 

 この年度4月号から、現在もずっと続いているこのコーナーが始まりました。

 

 当初は一人ずつでした。記念すべき第一号は、この方です。


 

 当時は、「羽高だより」というコーナーも設けられておりました。


  この年は秋田県でインターハイが行われ、大会成功に向けての決意等が書かれているようです。 


 

 夏、7月31日号の表紙になったのは、この写真でした。


 上仙道地区の方々による作業が継続的に行われていて、冬季のスキー場管理に備えていたわけです。

 長く続けられてきたことに、地域に対する愛着が感じられる記事でした。

 

 

 同じ夏、こんな取り組みも記事になっていました。



 今ではPR戦略はごく普通ですが、この頃に始まっていたのですね。

 徐々に観光客が増えていく時代となりました。

 

 

 秋、こんな記事を見つけました。


 同じく記念行事として、陸上競技大会も開催されていました。

 まだ住民の年齢も若く、パワーあふれる頃でしたね。

 

 

 年を越した1月号に、ちょっと面白い囲み記事を見つけました。


 もちろん、まだまだ一般的になったとは言えなかったと思いますが、ぼつぼつと個人でも渡航する方が増えだしたのでしょう。

 今だに通じる注意点があることを考えると、変わっていない部分もあるのですね。

 

 

 正月に行われたのでしょうか、2月号に大きく紙面を割いた次の記事が載りました。


 合併して30年目、時代の変化が激しくなりつつあります。

 「活性化」という語が、頻繁に使われ始めた時期と重なっていることでしょう。

 

 昭和も60年を越え、いよいよ最終盤へと向かっています。

 
 
 

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