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執筆者の写真晴夫 沼澤

昭和44年(1969) を紐解く

昭和44年、西暦でいうと1960年代最後の年になります。


2月号に「五輪坂スキー場」の話題が載っています。



一定の年齢の方ならご承知のように、現在地ではなく道路を隔てた反対側に設置されたものです。

ロープトウにつかまり上って、滑り終えたことを思いだす人も多いのではないでしょうか。



学校給食が本格化したこともこの年の出来事です。


田代・仙道地区で既に実施されていましたが、センター方式による提供が始められました。

記事によると、当時の「1食あたり」の費用は、小学生45円、中学生49円となっていました。



健康志向、レジャー志向の高まりを求めて、世の中が変わりつつある気配を感じさせます。




見返していて、一つ気づいたことはこの号から1年ぐらいの間、タイトルの下に「1部6円」という表記があり、それが続いていたことです。市販されたのかどうかは定かではありませんが、そういった細かさも要求された時代なのかなという気がします。



また「広域市町村圏」という設定が動き始めたのもこの年でした。


その後、様々な事業が動き出し、ハード面を中心に整えられていくことになります。



合併から15周年を迎え、記念行事も多く持たれました。

展示関係だけでなく、NHKのど自慢(ラジオ放送)も羽後高校体育館で開催されたとありました。


さらに町民歌が公募され、出来上がったのもこの年でした。

 

もちろん、羽後町民であれば知っていますね。


皆さん、たまには口ずさんでみてもよろしいのではないでしょうか。

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