昭和43年分を見ていきます。
西暦だと1968年。実は広報のタイトル日付は、もう昭和38年から西暦年号が使われていて、だいぶ浸透していたようです。(しかし、また数年後に元号に戻ります)
1月、新年号に毎年のように載る、町民の声のタイトルもそんなふうになっていました。

同じく新年号に、昭和30年と40年の人口構成の比較があり、10年間の変化がよくわかります。

「少子化」の兆しとまでは言えないかもしれませんが、今考えると大きなポイントの一つではあったようです。
一方で保健の意識も向上し、元気なお年寄りの姿も目立ってきて、敬老会なども盛んになったことが、この記事から想像できます。

この年、初の誘致工場である「秋田指月」が操業を開始し、町にとって大きな刺激になりました。それまでの関係者の尽力が偲ばれますし、同時に大きな前進を感じさせる出来事でした。

青年層・壮年層の熱心さが見える「地区住民運動会」の様子です。夏の終わりのイベントとして定着し、さらにスポーツ振興を図りたいという意欲が見えます。

5月号から始まった連載に、次のコラムがありました。

5年以上続き、昭和48年の6月号(「さいのかみ」の由来)で終了するまで、なんと50回続いた名物コーナーでした。
これは冊子としてまとめられて図書館にあります。一部は貸出可能なので、よろしかったらご覧ください。
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