広報シリーズ、昭和42年を取り上げます。
この年も多彩な記事があります。
新年号には「町立羽後病院」の完成記事が掲載されていました。
もちろん旧病院である建物ですが、今も一部は使用されていますね。
出来上がった頃は、あの独特の形状が印象深かったことを記憶しています。
町の産業は当然農業が中心なわけですが、この頃から様々な工夫、技術改善など、また多角的な経営などが目立つように感じました。
まず、稲作で収益をいかに上げるかという追求があります。そして一方では、土地を生かした複合経営などへの挑戦も見えます。
そして、その年は米の作柄の良さが際立ったということで、こんな記事も残っていました。
この年の盆踊りが「17日から3日間」だったという記事がありました。すっかり忘れてしまっていることでした。
当時は「雨天順延」があったんですね。
最後に晴れがましい記事を一つ紹介します。
長年のご労苦が認められたことになります。
写真が、NHKテレビで放送され、女優の久我美子さんと対談しているスナップであることに驚かされました。
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