「広報うごを紐解く」シリーズも創刊から10年経過した時点に入っていきます。
昭和41年を見ていきましょう。
今回は最初に4月号付の「町の予算」を取り上げてみます。
使い道などもイラストがあり、工夫されてきているようです。
その額に関しては、隔世の感があります。
昭和41年度の予算は4億205万7千円と記されています。
55年後つまり令和2年度の町予算は73億8500万円でした。
この年、今まで載っていなかった町の教職員人事異動が記事として取り上げられていました。
翌年以降の数年間分の広報をめくってみたのですが、記事になってはいませんでした。しばらく経ってからまた掲載されるようになったようでした。
役場職員は毎年当然掲載されます。しかし教員に関しては何か理由があってのことだったでしょうか。不定期なようです。
それにしても、懐かしいお名前が並んでいます。
この年、成人式が前倒しの形で夏に実施されました。
それ以降ずっと、お盆の時期に開催されたわけです。
そう思うとコロナ禍の年に中止になったことは、改めて「きわめて異例」としか言いようがありませんね。
冬が近づき、こんな記事が出ています。
「ブル三台」という表現に込められていることから、想像できる様子は結構ありそうに思います。
いずれ、冬場の交通事情はまだまだ厳しかった時代です。
前年と同様に、この広報の「出稼ぎ特集号」が発刊され、なんと18ページものボリュームがありました。
正確な把握はしていないようですが、町からの出稼ぎ者はおおよそ2000人という規模だったとあります。
ここにも歴史的な重みを感じました。
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