いよいよ昭和40年となりました。
2月号には、佐藤町長が「町政を運営するについての私の決意」と題した1ページにわたる文章がありました。
内容は、前年に議会で指摘され調査や処分を進めていた、町職員の「汚職」に伴うことでした。かなり詳細な点まで記され、当時いかに紛糾したかが想像できます。
紙面はアップしませんが、町が大きく揺れた出来事であったことは確かだと思います。
2月号に続けて綴じられていたページは、次の「出稼特集号」でした。
なんと全11ページ。「子供の詩」「今年の稲作栽培上の注意」「農協だより」「地区公民館活動」「税金情報」など、非常に充実したものでした。
それだけ「読者」が多かったという証で、町としての力の入れ方を得心しました。
なお、「1964.2.23」と日付がありますが、実際は1965年配布だったと記事から推測されます。
この年、町広報に令和の今も続くコーナーが誕生しました。
戸籍への届け出をもとにした「出生」「婚姻」「死亡」の告知です。
晴れあるその第一回目。誕生なさった方々は、今年(2024)に還暦を迎えた方ということになるようです。
これ以降、継続されていますが、その頃の死亡欄を見て、毎月のように乳児・幼児の名前が載っていることに心が痛みました。
病気、事故によって幼い命が絶たれることは、まだ珍しくなかったのです。
6月号に珍しく「田植え」の記事が載っていました。
「タバコ」の様子もスナップで撮られ、ほほえましい風景です。
同様のことを楽しい記憶として留めている方も多いことでしょう。
昭和40年代、様々な交流行事が盛んに催され、充実した様子がうかがえます。
町の青年集会は「第十八回」が示すように、町の若い力によって継続されてきた伝統ある会です。
なんと国際交流があったことにも驚かされました。
交流の芯となったのは「農業」でした。
様々な形があり、時代によってそれは変化します。
しかし、一般国民の平和友好への希求は今も昔も変わらないと思わされます。
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