昭和39年を見ていきます。
この年は、国としては東京オリンピックの行われたメモリアルな年でした。
10月には若干それに触れた記事もありますが、全体のなかでは「出稼ぎ」に関する話題がやはり目立っていました。
農家が冬場の現金収入を求める流れが加速していたのでしょう。
2月号には、次のような写真が載っていました。
今眺めると「堆肥運び」は当時の風物詩のように思え懐かしい気もしますが、実際の作業は大変だったと思います。
農業は近代化が進みつつありましたが、まだまだ先が長い道のりでした。
この年は町議会議員の改選の年。
4月号に「新しい町議」として、30名!の顔写真が載りました。
当時の町人口が約2万9千でしたので、現在の議員数と比較すれば割合としては似通っていると言えるでしょう。大半の方が故人となられたことを改めて思い知りました。
少し変わった記事として、こんなコーナーが設けられていたことを紹介しましょう。
警察派出所からの「拾得物」です。(8月号)
現金が多いですが、時代を感じさせるモノもありますね。
湯沢税務署からの注意喚起です。(10月号)
「飲まない部落」「比較的多く飲んでいる部落」の絵が、今見るとユニークです。
12月号の記事をみると、当時の中学卒業者の進路状況が明確にわかります。
その年、地区の差はありますが高校進学率が全体で半分を超え、そして就職する者はやはり県外が多く、農業後継者など家事従業者が少なくなっているということが記されていました。
国全体としては高度成長まっしぐらというイメージですが、都会の発展を支えていく地方の暮らしの実態が浮かび上がってきますね。
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