昭和36年分の広報を見ていきましょう。
この年の冬はずいぶんと雪が降ったようです。詳しいデータなど、今のように記録されていませんが、2月号(47号)の記事によると「戦後かつてなかった大雪」という文章がありました。
そして3月号(48号)には、こんなスナップも載り、「大雪は70年来のこと」と表現されています。
「橇(そり)を屋根に持ち上げて雪運びをやる」という箇所はびっくりしました。
※記事では「展根」となっていますが、誤植と思われます。
当時はバスの通年運行もできない状況だったので、「冬季運行対策」としてその年に町でも予算をつけブルドーザを購入したのですが、それでも間に合わないほどだったという記事もありました。
さて、36年は最初の秋田国体が開かれた年。
9月号(53号)の記事は、県民・町民の期待の高さが感じられる内容でした。
「国体旗リレー」の参加者の名前には、見知った多くの人の名前がありました。
体育向上の精神が一気に高まりを見せた年でした。
年々、ずいぶんと産業振興の記事が多くなっていることを感じました。
稲作だけでなく、酪農、果樹、たばこ、野菜など、様々な話題に彩られていました。
松倉ダムが完成し水利もよくなり、交通の便もよくなっていくのですが、反面次のような記事があったことも、当時の厳しい実態でしょう。
なんと一ヶ月のうちに7件もの事故があったとは…。
道路交通に関する安全意識そのものが過渡期だったと言えるでしょうか。
11月号(55号)には、町で最初の保育所が完成した記事が載っていました。
ご承知の方も多いでしょうが、この建物は現在も残っています。
改めて、多くの方の思い出が詰まっている施設だったと感じさせられます。
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