昭和33年の紙面を見ていきましょう。
1月の通巻第10号の一面は、当時の町長、議会議長の年頭挨拶の他に、「成人式、祭典を挙行」という記事が掲載されています。
前年までがどうだったか不明ですが、1月15日の成人の日(当時)に、町としても式を行い、その後「成人祭」と銘打って、講演会などが行われています。
その年に成人を迎えた人数が表で示され、男女が277人で同数、計554人という数の多さにも今さらながら驚かされました。
4月号(13号)には、羽後高校の開校の記事が載っていました。
現在地ではなく、西馬音内川原田にあった校舎や配置図があり、定時制4年生までの生徒数計205名と記されています。
そのあたりの経緯については7月号(16号)に詳しく書かれてありました。
まさしく「羽後町民の熱意みのる」と題され、当時の喜びや熱い期待が感じられる文章でした。
もう一つ、町民の教育への熱い眼差しが感じられたのは、西馬音内小学校へビニールプールが贈られるという以下の記事です。
町初めてのプール開設はこの時代、このような形で行われたわけです。(入った経験のある者の一人としては感慨深いものがあります)
その横に「中学校修学旅行おわる」が載っています。ここにも時代のエネルギーを感じました。
中学校3年生全678名が、関東へ3泊の旅行へ出かけています。
個人経費の三分の一を町が補助していました。
この年、町章が決まりました。
公募をし厳正な審査を経て決定されたこのマークのもと、改めて「結束と躍進を!!」と意気込む姿が見えるようです。
この年を総括すれば、羽後町の様々なことが、ハードもソフトも次々に作られていくイメージが湧きます。
しかし、まだまだ一般家庭の経済状況は厳しいものがあったようです。
12月(21号)には、「耳よりの話 年末のやりくり」として、「公益質屋」の案内がありました。
記事のなかにも「ナベ底景気と言われてきた本年は異常の不況で、金くりが極めて困難」という文章があり、豊かさを求めての苦闘が続いていたことは確かです。
だからこそ、将来への期待を込めて、成し遂げられた様々な出来事に心打たれるのかもしれません。
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