「羽後の子ども」第36集より
- 晴夫 沼澤
- 5 日前
- 読了時間: 2分
「羽後の子ども」第36集(2005年度)より
町内各地区にあった役場支所が廃止されての年度スタートとなった年でした。
交通広場(かがり火広場西側)や盆踊り会館、町立図書館などが完成し、動き出した年でもあります。
また2年続けての豪雪に見舞われ対策本部も設置されました。
その年度町広報のPDF版はここからご覧になれます。
みんじゃしまい
明通小1年
しゃららら、しゃららら
ばっぱの手がおどってる
もあ、もあ、もあ
どんどんあわがあふれるよ
シュッ、シュッ、シュッ、
シャーン
キュッ、キュッ、キュッ
ばっぱの手からきこえるよ
いろんながっきがあるみたい
こんどはゆい子も
がっそうだ
シュッ、シュッ
キュッ、キュッ
シャーン、シャーン
ひかるおさらに
ふたりのにっこりうつったよ
◆「みんじゃ」も「ばっぱ」も、今はあまり使わなくなっている。そのことばの持つ響きは、とても甘くやさしく感じる。「みんじゃ」の二人の様子も楽しく光っている。

稲の花
明通小5年
夏の朝、九時。
稲の先のつぼみがわれて、
白い花が顔を出す。
小さい、小さい、稲の花。
米つぶより、もっと小さい。
一、 二時間もたつと、
ハタリホタリ
次々に、かれて落ちていく。
でも、わずか一、二時間で、
おしべの花粉が、めしべについて実を結ぶ。
自分の役目をしっかり果たして、
新しい命を生み出す。
それが米になり、
人間の命をささえていく。
わたしは、
不思議な生命のつながりを感じる。
稲の花。
わずか一、二時間の短い命。
そのいっしゅんを白く輝かせる。
まぶしいほどの
生命の輝き。
わたしたちは、
その生命をいただいて
感謝して
生きていこう
◆どんなに小さくどんなに短い命にも、役割があり、それは他の誰かを支えている。小さければ小さいほど、短ければ短いほど、その一瞬の輝きは強いのかもしれない。そんな生命を見つめる目は「力」を与えてくれる。
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