「羽後の子ども」第26集は平成7年度(1995年度)に発刊されました。
この年度は、6月に三輪団地が完成した年です。
夏には戦後50年記念事業として「戦争と平和展」が開催されたと記録がありました。
11月には軽井沢小学校新校舎が完成しましたが、一方で上仙道小学校最後の年度となり、閉校記念式典が開かれました。
全国的にも大きな変革の年であったことは、記憶ある方も多いでしょう。

だいじなみ
上仙道小2年
ぼくの学校は三月三十一日で
おわっちゃう。
でもね、
学校はえいえんに上仙道にのこるんだ。
だって、
石で作ったせきひができたんだもん。
せきひにかみさまがおりてきて、
上仙道をまもってくれるそうだよ。
ぐうじさんもおいのりしてくれたから、
だいじょうぶだね。
せきひを見たら思いだした。
だいじなへんなみのこと。
夏のことだからずっとわすれてたのにね。
先生からもらって食べた
プルーンっていうへんなみのたねを
きりかぶのよこにうめたんだ。
水をかけて、
「早く大きくなってね。」
ぼくは、たねにおねがいしたんだよ。
春になったら
めが出てくるよ。
そして、
大きくなったプルーンの木も
せきひといっしょに、なかよく、
上仙道小学校のしるしになるんだ。
◆ちょうど三十年が経ち、今、その種はどうなっているのかな。願ったように育っているだろうか。しかし、もっと大切なことはその食べた「み」が、君の一部になっているということだ。それは絶対に消えない。心にしるしをつけた。
部屋は 時の宝箱
西馬音内小6年
片付けはきらい
片付けていない部屋もきらい
しょうがない やるか
ちっとも進まない
たなの中から四年のころの自由帳
字がきたない
なんだ これは
三年のころの自由帳
もっときたない字
一年のころの算数ノート
なんとか読める
国語の本の落書き
思わず ニャッ
前から探していたすずを見つけた
どこかの景品だったかな
けっこう気に入っていたのだ
チリリーン
前とかわらない音
片付けは
別の次元に行って
昔の自分をながめているよう
必死に 迷路をかいている昔のぼく
パズルをかいている昔のぼく
今も昔と変わらないなあ
人間なんてかわんないもんさ
だけど
精神的には成長したのかも
片付けは終わり
思い出は たなにしまいこんだ
◆ほったらかしにすることを、よしとしなかった自分。そこから「発見」が始まる。自分であって自分でない。様々な姿を見つけるのを楽しんでいるようだ。今の君が「人間なんてかわんないもんさ」を見つけたら、どう感じるか。聞いてみたい。
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